新潟県の男性がブラックバス駆除にある取り組みを始めたところ、それを批判する意見が寄せられたそうです。
「ブラックバス自体に罪はないのに。人間の勝手なエゴ・都合で駆除するのはよくないんじゃないですか?」
駆除の取り組みを行っている男性自身もハッと考えされらる出来事。
「外来生物は悪者なのか?」
本記事では、バス釣りを楽しむ私たちにとって最も関わりの深い、ブラックバス駆除の問題について考えます。
外来生物は悪者か?
本記事のテーマ「外来生物は悪者か?」は、Yahoo!ニュースで取り上げられていた「BSN新潟放送」の記事を引用しています。
新潟県は、漁場を管理する内水面漁場管理委員会によって、早い時期からブラックバスのリリース禁止が定められた地域。
それだけに、外来種問題の取り組みに対して最前線の現場と言えます。
こうした話題が出ると、必ず次のような意見が対立しますよね。
- 「ブラックバスだけが自然環境を破壊している原因ではない。もっと他にすべきことがある。」
- 「釣り人のエゴが自然環境を破壊する原因になっているのだから駆除は当然。反対意見は見識が足らないか、釣り人側の勝手な目線。
今回もこうした意見は出ていますが、ニュース内容やそれに対するコメントを見ていると、単なる平行性の議論以上に貴重な意見も見られるようになっています。
元のニュースにテレビ的な演出が若干ありますが、釣り人である我々にもハッとする内容でした。
資源を守る駆除が必然な理由
ニュースの現場となったのは、三条市を流れる清流「五十嵐川」。
五十嵐川の漁協組合は、毎年かなりの投資を行ってアユを放流しています。
その為、ブラックバスによる被害は頭を悩ませていた問題。
水域を資源として活用している側からすれば、その地域のブラックバス駆除は必然です。
経済資源として水域を利用しているのですから、その現場を守ろうと考えるのは当然ですね。
また、そもそも予算を投じてアユを放流しないと、清流釣りのフィールドとして成立しないので、「在来種保護の為に駆除すべき」「在来種を脅かすのはバスだけではない」といった意見はどちらも的外れと言えます。
「人を襲う猛獣を駆除する」「畑を荒らす害獣を駆除する」といった対処と同様に必要な事だと思います。
確かに、(経済的な理由を含む)人間都合で生命を奪っていいのか?という反対意見もありますね。ただ、我々が生きていく上での問題解決と、自然環境全体の問題は、分けては考えられないものの、端的にごちゃまぜに議論できない事だと考えます。
少なくとも、「駆除の必然性」については、まず経済的必然性を重視・尊重すべきではないでしょうか。そして、自然環境の保護については、「他水域への密放流禁止」という法律厳守が最低限・絶対的に守るべきルールです。
駆除そのものが良い事ではない
今回の駆除は、漁協組合ではなく、五十嵐川上流でそば店を営む方が主催して行われました。川で捕れた魚を店で出すこともあり、清流の資源活用をしている1人とも言えますね。
ただ当初は、「外来種は悪なのだから駆除はいいこと」と思い込んで実施していたようです。
実際、ブラックバスを駆除する人をRPGの勇者に見立てて、駆除した数に応じて冒険の書(ポイントカード)に記録して特典が得られる、というゲーム感覚なアイデアを実施。
高齢化が進む漁協の人たちだけでは駆除が難しい中、かなりユニークで効果的なアイデアだと思いますが、「外来種を楽しく殺して、得しちゃおう!」と受け取られかねない面もありました。
これでは、「勝手なエゴ・都合で駆除するのはよくない」と意見が来ることは十分考えられます。意見の本意は分かりませんが、「釣り人が自分都合で批判している」だけとは言い切れません。
メディアなどの報道が過熱しすぎた事もあり、あまりにも「外来種=悪」「バス釣り=違法」といった、本質とは別にセンセーショナルなイメージが浸透した結果とも言えるでしょう。
駆除が必要な理由が明確であれば、それを主旨とすればいい話で、「外来種=殺して楽しむ」対象では無いと思います。
現に駆除の主催者は、この意見にハッとして深く考えさせられたそうです。
その結果、駆除の趣旨に「共生」を書き入れました。
また、駆除されたバスを燻製にして提供するなど、すでに生息しているバスと付き合っていく方法を模索し続けていくようです。
駆除を必要とする側にしてみれば、「釣り人の勝手な反対意見」と一蹴されることも多い中、外来種問題を考えるキッカケにし、行動に移す姿勢は見習う点も多いのではないでしょうか。
バス釣りアングラーは自分勝手?
今回のニュースでは、「バスフィッシングに関わる人たちは自分勝手」と思われていると感じる部分もありました。
その為、「自分たちの楽しみだけで各地にバスを密放流している」といったイメージも根強いと考えられます。
「他魚の移入に混じっていた」「卵が鳥の糞に含まれる事がある」「大雨で流れ出た」などの反論もありますが、釣り人のマイナスイメージがある限り、密放流をやりかねないグループというレッテルは残り続けます。
バスフィッシングの愛好家1人1人が、外来種問題を根本的に改善できる大きな力は無いとしても、ルールの徹底やマナーの厳守といった、あたり前にできる当然の事は実行していくべきでしょう。
まとめ
外来種は悪かどうか、といった生物の罪を論じている事自体エゴなのかもしれません。
結局は人間の暮らしにとって有益かどうかの判断で、治水のための護岸工事、住居の建設、レクリエーション施設の開発など、どれも大切で必要な事です。
五十嵐川のケースであれば、自然環境で既に成立していないアユを放流して釣りを楽しむ人、野良で増殖するバス釣りを楽しむ人、そのどちらが有益かという問題が結局のところかもしれません。
そうした有益性を考えた場合、バスフィッシングは地域や漁協などの周辺関係者へのメリットが少ないとも考えられます。
以前記事にした「室生ダム」のように、ヘラブナ釣りの人口減少に伴って、バス釣りを解禁する地域なども確かにあります。
また「バス釣りが盛んになれば、近隣の飲食店などが儲かる」といった意見もありますが、それでも他の釣りやレジャーに比べると比べると経済的な影響力はまだまだ少なめだと言えるでしょう。
清流釣りの場合、地域によっては1日に2000~6000円程度の遊漁料が必要ですが、バス釣りの業界では、今だに500円程度の魚券を「買うようにしましょう」と呼びかけているような状態です。
お金の問題だけでは無く、「バス釣りは青少年育成に役立つ」という意見もありますが、バス釣りに関係する団体やグループが、そうしたイベントを率先して主催している事例はあまり聞いたことがありません。
また、今回は「ブラックバス問題」としてニュースに取り上げられているにも関わらず、スモールマウスバスが対象となっていたこともあり、バスフィッシング愛好家の中でも責任の押し付けような光景が見られました。
そもそも「スモールマウスバスは特定地域以外に居ない事になっている」といった黙殺意見も少なくありません。
これではとても、自分たち以外の有益性を考えて行動できている、とは言えないのではないでしょうか。
日本でも、海外のようにフィッシングライセンスで料金を徴収し、地域への還元や漁協の対策費用にするなどを検討するべきなのかもしれません。
シーズンごとのライセンスにすれば、冬場やスポーニングシーズンのプレッシャーが減って、フィールドが豊かになる可能性もありますよね。
大きな事ができないにしても、繰り返しになりますが、「ルールを守る」「挨拶をする」といった地域交流の礼儀、ゴミを拾う・そもそも捨てないといったマナーや駐車問題など、釣り人が自分たち以外にデメリットを与えない事が、最も手短に始められる社会への有益性だと考えます。
駆除を必要とされる方だけが問題に取り組むのではなく、釣り人それぞれが自分の問題として考えていかなければいけませんね。